1月8日
1月7日、2時から国立で行われた横井さん初監督映画「いのち燦めく村」、ネパールのサチコール村での「村人総出でつくった音楽ホール」のドキュメンタリー映画上映会に参加させてもらいました。

2011年に横井さんがネパールに行くきっかけをつくった者として、発言の機会をいただきました。経過や思っていることをちゃんとまとめておいたのですが、それでも例によって長い話になって、横井さんからブレイクをいただき、慌てて終わりましたが、聞いていた啓子は、「よっぽど、早くやめて…といおうかとおもっいたら横井さんが止めてくれた。しゃべりすぎ…。私がちゃんとチェックしておかんだからいかんだ。もっと発言してもらわないかん方がたくさん参加してみえたのに…」と帰りの電車の中でも怒っていました。

それでも横井さんが「ほうれん草」の話に振ってくれたので、この話で締めくくりました。ネパールにいって学んだことは、食の原点です。農薬もない、化学肥料もない、自然の恵みの中で育った野菜、穀物をたべているネパールの村人の健康なこと…そのことに気づかされ、「ほうれん草」づくりに到達、この道を歩みたい…。一家の冷蔵庫の中に、ほうれん草が一袋入っていることの安心さ…と啓子の言葉で終わりました。

品川のホテルに「てらこや塾」で育った芳竹と恵ちゃんが会いに来てくれました。四年生の九月から中学校に入学する前まで日本にいた二人が再び来日して、芳竹は鍼灸師の道へ恵は大学へ進みます。入試の面接と作文試験か゜あって、名古屋から上京していました。

二人とも「てらこや塾」で勉強したこと、体験したことを一杯覚えていて、その話を聞いているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまいました。二人が「てらこや塾」の存在を、これほどまでに受けとめ心に残してくれているのかということがわかって、「てらこや塾」をつくったことを「よかった」と心の底から感じることができました。

恵ちゃんの字です。私たちにプレゼントしてくれました。中国では小中学校では書道の勉強がないそうです。高校で字を書き出した時、先生から聞かれたので「慶蔵院で勉強しました」と応えたと聞かせてくれました。

芳竹は歯医者さんに連れて行ったことがありました。そのとき直した奥歯の銀の被せを中国で歯医者に行った時、「これはどこで直したんだ…」とみんなが歯をのぞきにきたんだ…と聞かせてくれました。
今日は誕生日の近い芳竹のお祝も兼ねて、どんどん食べて、食べてと勧めて来ていたのに、代金を支払おうと思ったら、全部19歳の芳竹が支払いを済ませてくれてあったのです。
銀だこでアルバイトしているから…、東京にきてくれたんだから…と言ってくれたのですが申し訳ないことをしました。
春になったら慶蔵院に行くからといってくれていました。それを楽しみに春を待つことにします。