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2009年、平成21年を終えるにあたって…

12月31日
浄焚式
 2009年、平成21年も、今日一日となりました。平成17年、32年間勤めた高校教員を、60歳までに5年をのこして早期に退職、それからあっという間に、住職としての5年が経過したことになります。ときどき、ふっと、教員をつづけていたらどうなっていただろう…などと思うこともありますが、住職として、60歳を迎えるという、一つの区切りの年を迎えることになりました。
 今日は、午後2時から浄焚式、秋のお彼岸以来の古塔婆を境内で供養してお焚きあげする儀式です。この時間に合わせて寺世話人さんも寄ってきてくださり、除夜の鐘の準備も整えてくれました。夜10時から本堂で仏名会、お念仏をつづけ、11時半下小俣たいこが奉納され、いよいよ除夜の鐘とつづきます。浄焚式の最中にも、雪が舞いだしたり、突風が吹いたりと、今年一番の寒さとなりました。例年140~50名の人が集まってきてくれますが、今年はどうでしょうか。
 除夜とは夜を除くと書きますが、それは心の闇を除くことと考えられ、心の闇は、すべて自分自身の煩悩から生じるもの、この煩悩を打ち払うことを願って、百八回の鐘を撞くのが除夜の鐘です。なぜ、百八回なのかといいますと、いろいろな説がありますが、ひとつには、私たちは一年間を四苦八苦して暮らしています。
 四苦が4×9=36、八苦が8×9=72、36+72=108となるからです。なるほど、うまいこというものです。
 でも、煩悩は無尽です。限りがありません。インドでは、百八とは数の大きなことをいう表現なのだそうです。ですから、慶蔵院では、数にこだわらずに鐘を撞きに来て下さった方に全員、撞いてもらっています。一応、百八までは番号札をお渡しして、順番をきめますが、108を超えてもかまいません。どうぞ、皆さん撞いていってください。
 私たちは、煩悩を克服しようとしても、なかなか克服することはできそうにもありません。それよりもむしろ煩悩にこだわらない生き方。こだわらないようになれる生き方を求めていくことが大切なのではないでしょうか。
 それは、腹を立てたり、愚痴をいったり、悩みこんだり、落ち込んだり、イライラしたり、わがままであったりするこの自分自身そのままに、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…と阿弥陀仏の導きをいただきつつ、こころ穏やかに生かさせていただける境地を求めていくこと、つまり念仏しながらの人生こそ、私たちの求めるべき道ではないかと思うのです。除夜の鐘を撞きながら、そんなことを思いつつ新しい年を迎えようではありませんか。午前12時には、修正会の法要がはじまります。
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