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「禅と念仏」への原稿、再度書きあげました。

2月24日
ミント
 昨日までの激務が嘘のように、今日は時間がぽっかり空いてすべて自分のもの、書きなおしになっていた「禅と念仏」の原稿をまとめなおしました。午前9時ごろから、午後3時ごろまでかかりましたが、精一杯やることが出来て満足です。午後7時半からは第33回読経会があり、ここで講話の形で、内容を聞いてもらいました。では、以下、提出する正原稿です。長くなりますが、よろしければ読んでください。

 法然上人の大遠忌に、時期相応お念仏を      浄土宗 慶蔵院住職 前島格也

 一、称えずにはいられないお念仏
 本誌第28号に紹介されている北島寅雄氏は、念仏の師である浄土宗一の念仏者、故関谷喜與嗣上人に、「法然上人の6万遍を可能にしたものは何なのか」と尋ねました。「たぶん、法然さまにとって戒の意味があったのでしょう」との応えを聞き、北島氏は、「戒の意味」を「戒め」と受け止めました。「称えられるのに、なぜ称えないのか」「怠けるなよ」と、日々、6万遍に励まれ、「精進しても満足感がない、これこそ『戒』である証し」と語っておられます。

 二、私とお念仏との出会い
 寺で生まれ育ち、32年間の教員生活を挟んで、平成17年に住職を拝命、導かれ・呼びかけられるままにお念仏をお称えし、中野善英上人創唱の「大念仏」にもご縁を得ることができました。秋10月には三回目の「伊勢大念仏会」を開催します。また、月1回、1時間半の念仏会は、2月で30回となりました。本堂での法事や行事においても、必ずご一緒に木魚念仏を称えていただくようにしています。
「お導き、呼びかけ」は、平成17年、恩師の土屋光道先生(観智院前住職)が「お念仏を悦び、日々称える人に」の御著書を、お贈り下さったことに始まります。まさに、お念仏が私の中に入ってきて、私を牽引してくれたという印象です。心の底からの悦びを感じ、「お念仏の灯」が点りました。
お念仏は阿弥陀様からの働きかけ、この働きかけに悦んで応えさせていただく私の声、それがお念仏です。関谷上人が北島氏に語られた「戒の意味」とは、称名による救いの確信の中に、日々生かされ、まことの信仰生活の上にたった、悦びの中の生命活動そのものの表現だったのではないかと思います。
法然上人は「念声はこれ一なり」と観無量寿経を引用して「仏名を称するが故に念念の中において八十億劫の生死の罪を除く」(選択集第三章)と述べておられます。お念仏は、声に出して、阿弥陀様のみ名をお称えすることによって、み仏の働きを得るのです。

 三、私の実践的念仏論
 お念仏をお称えすると、ご縁がひろがり、新しい出会いが生まれ、いろいろな願いを持った方が集まってくれるようになります。
怒り・もやもや・イライラが消え、どんな精神状態の時でも、お念仏をした後は、まるで別人のように自分が変わります。 
人の悦びが、自分の悦びになり、問題の解決が向こうからやってきて、称えている人はもちろん、周りの人も変わります。 
 健康になり、病気の症状が改善されます。検診で癌の疑いを指摘され、翌日の精密検査では、症状が全部消滅…との不思議な経験もさせていただきました。
お墓の開眼の最中に、雲が割れて光りに出合ったり、風に出合ったり、誰もいないのに「おい、ほれ、おっさんが来てくれたぞ」という声を聞いたり、早朝、境内の大樹の静けさの声が聞こえたり…。井戸水のように信仰心が湧き出し、生きとし生けるものと、ともに生かされている「いのち」のつながりを感謝の中に、感じさせてもらっています。
これらの実体験が、「お念仏を称えずにはいられない」との思いとなって私を突き動かしています。諸問題が渦巻く現代社会において、お念仏による救いを、今こそ多くの人々の心にお届けする浄土宗僧侶の果たすべき役割は絶大であると思います。

 四、現当二世の利益
 現代社会を生きる私たちにとって、お念仏に救われていく「現世の利益」と、「浄土に往生し乃至成仏す」と最終的には、仏様にならせていただくお念仏信仰とが、両輪のごとく大切なのではないでしょうか。「かの国にいたりをはって六神通をえて十方界に入って苦の衆生を救摂せん」(善導大師発願文)この最終目的のために、日々お念仏を称え、真実に生かされていくのが念仏者です。
 法然上人は、「『大念は、大仏を見、小念は小仏を見る』と感師釈して云く、『大念とは大声の念仏、小念とは小声の念仏なり』と。故に知んぬ、念はすなわちこれ唱なり」(選択集第三章)と述べておられます。
 お念仏は、腹の底から心をこめて、大きな声を出して、明るく、元気にお唱えしたいものです。「悩みながらも、悩みの中から救われて行く、あやまちながらも、あやまちの中から目醒め」させていただけるお念仏。「専ら名号を持すれば、名を称するを以ての故に諸罪消滅す。すなわちこれ多善根福徳の因縁なりと云えり」(選択集第十三章)とあります。今こそ、この法然上人のご教示を実践・実証する、「大仏を見る大念仏」の工夫と精進が問われる時代、まさに、浄土宗、お念仏の出番の時代であると確信しています。
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