「無常」こそ、「希望」を語るキーワード

2月27日
 今日も分刻みに動いた日でした。7時半に出棺回向、8時出棺、8時半斎場。そして9時に本堂に手て、50回忌の年忌。50回忌を親族が十数名集まってされたのです。自分たちの孫ばあさんの年忌だといって、集まってくれました。一生懸命、木魚でお念仏をして、お墓へ。10時半、市内の新檀家さんの1周忌、お墓を済ませてもどると12時を回っていました。1時から本堂にて葬儀。2時過ぎに葬儀を終えて、招待を受けていた社会福祉法人「明照浄済会」の第35回「ぼくら・わたしらの音楽発表会」に参加。
 第一部の「キーボードとうた」は聞けなかったのですが、フルート合奏、ギター合奏を聞くことができました。昨年よりもぐんと腕前を上げた、皆の熱演を聞かせてもらうことが出来ました。最後のドレミの歌でも、慶蔵院の「子ども会」にも来てくれる、児童養護施設「精華学園」の子ども達による、元気な歌声に出会うことができました。
 3月の子ども会の出し物の一つとして、この子たちに演奏をお願いしたいとも思いました。また、後日お話に伺いたいと思います。私も4月8日の花祭りには、法要とお話を任されています。
 発表会を聞いて、戻ってきたのが4時半、5時から初七日忌に出て、6時過ぎに帰宅。夕食…。これが今日一日の仕事でした。
 さて、「無常ということについて」ですが、2月19日の涅槃会で「無常」について話をして以来、身の周りに「無常」が目について仕方がないのです。そこで、「無常」ばかりを話しているわけです。

 日本では、「無常感」と使われることが多く、そのため「無常」について、偏った捉え方をしています。講談社の日本語大辞典には、その意味での「無常」の意味として、「③人の世のはかないこと・さま」とあります。ちなみに「無常感」は、「世の中はすべてはかないと感じること」とあります。「無常」というと、以上のように感覚的にとらえるのが日本文化的な捉え方ということになります。
 しかし、今こそ、「無常」について、積極的に捉えなおすことが必要だと思うのです。すくなくとも私たち僧侶は、このことを主張すべきではないかと思うのです。もう一度、日本語大辞典を開くと「無常」の意味として「仏教語」と注を入れて「②万物が変転して常住でないこと」とあります。つまり、物事は常に変化して行く。変化しないものなど何もないということです。このことを積極的にとらえつつ、強調すべきだと思うのです。
 物事は変化するのだらか、[たとえ今が苦しくとも、苦しみは決して変わらないことはない。必ず苦しみが無くなる時が来る。物事は変化して行くのだから…。変化しないものなどない。苦しみも変化する」と。
そのようにとらえれば、「無常」こそ、「希望」を語ることができるキーワードになります。
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