臨済宗妙心寺派の葬儀に参列しました。

12月30日
大イチョウ
 父親が懇意にしていた方が亡くなり、宗派は違うのですが、私も僧侶として葬儀に参列させていただくことになりました。昨日は通夜に、今日は葬儀式に…。
 初めて臨済宗の葬儀の流れを体験させていただくことができて勉強になりました。メリハリがあり、動きがあり、威儀作法がしっかりとされていて、引き付けられる要素がたくさんありました。
 浄土宗の念誦の訓読の内容に似ているお称えがあり、私にもほとんど意味が分かりませ我、お釈迦さまによって導かれ…と、何度か戒名が読み上げられました。引導にあたるところでは、やはり聞いていて内容を把握できないのですが、最後に「かーっ」と声があげられ、全体的に迫力がありました。また、鳴り物の打ち方・音も大きく、はっきりとした音が出され、これもメリハリのあるものになっています。
 しっかりと3人で唱えられるお経も、大きな声でよかったと思います。そして、最後のところで、光明遍照…から、念仏、そして総回向文「願わくはこの功徳をもって…」と葬儀を終わられました。
 斎場の係の方のお話しでは、「自分は、この斎場で、はじめて臨済宗のお葬式のお念仏を聞きました。田舎の方では、やられるのを聞いたことがありましたが…。今日は慶蔵院さんがおみえでしたからお念仏で終わられたのではないですか」と説明してくれました。
 ふだん斎場でお念仏がされているのかされていないのかは、分かりませんが、今日聞かせていただいたお念仏は、少し節があり、3人の僧侶方が声をそろえて「南無阿弥陀仏」と唱えられていたのですから、やはり臨済宗妙心寺派でも、お念仏を称えるのだ。今日が特別なことではないと思いました。
 このことについて、長老にお話しをうかがったり、文献にあたってみたいと思います。それにしても二元の最後が「無」になって終わるのでは、私たちは現実の「死」を受け入れることが難しいのではないでしょうか。やはり仏の仏国土への[往生」、往き生まれることへの願いがあって、初めて「いのちのつながり」をも感じ取ることができるのではないのか…とも思いました。お葬式の教義というものから各宗派の意図するところを勉強してみたい…そして参列者・遺族が満足・納得してもらえる葬儀の在り方を追究する必要があるのではないかと思えてきました。
 葬儀の儀式性と言う点では、今回経験させていただいた葬儀は、浄土宗の葬儀のながれより、参列者に支持される要素を兼ね備えていたと思います。ありがとうございました。
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