この道を往く人ひとり梅雨晴れ間 格也

6月30日
 梅雨晴れ間、子どもたちが29日から1日まで東京に旅行にでている間に、慶蔵院本堂では、葬儀が行われた。
28日に亡くなった小さいころからの先輩で、私たち少し年齢が下の者は、みんな「Sさん、Sさん」と慕い、私たちの大将であった人だ。慶蔵院の境内が遊び場で、毎日のようにソフトボールをしていた。私たちが小学校高学年、Sさんが中学生の3年間、それが続いた。わたしたちにとってかけがえのない日々であった。
 その時の同級生の一人は、2年前の6月5日に逝き、そして今度はSさんが…。
クチナシ
 30日、6時からの本堂での通夜。こんな話をした。

「平成17年の2月父親、先代住職が遷化され、住職を継がせていただいた。平成18年11月正式に慶蔵院住職を拝命する儀式、晋山式。この日、Sさんは、本堂にお参りをしてくださった。晋山式を終え、挨拶をすると、Sさんは、

「おい、タダシ、門まで手を引いてくれ。」言われた。門を出て、階段を下り立ち止まると、
Sさんは言われた。
「おい、タダシ、五重相伝をやってくれ。」と。

「いや、それは十年早いですよ。私ごときにできるわけがありません」と応えた。
そのときSさんは、私を見て、

「いや、五重をやってくれ。俺の身体が持たん…」と言われた。

「何を言うんですか。ぼくらの大将が…。元気を出して下さい。」と答えつつ、見送った。

 そして、私は、その日に五重相伝を開筵することを決意し、寺世話人にその旨を話し、2年後の平成20年、11月の日程を決めた。

 2年間の勉強は、私が僧侶としての初めの一歩を踏み出す、歩みであった。五重を成功させるため、三年越しの布教師養成講座にも入門した。五重相伝を終えても、そのご養成講座は2年続いた。

 自分の力で五重相伝に集まっていただいた160名を越える受者の皆さんに、五日間の修行と伝法を通して、自分を越える大きな力に出合わせていただき、僧侶としての土台がいただけたと実感している。

 そこにひっぱり込んでくれたのがSさんであった。やはり、私たちの大将であった。

そのSさんを極楽浄土に送らせていただき、これからも大きな大将からの導きをいただいていきたいと念じている。いま思うと、5月の一日か二日に本堂の西で犬を見ていて「食べなければ強くなれる。生きることができる」との啓示のようなものを得て、五のつく日の断食を決めて実行することになったのも、大将がのこしてくれた導きであったのではないかと思えてきている。だから、自分の意思ではなく、続けることができるのかもしれないと思えてきた。私がこの世で必要とされる限り、人の役に立つ生き方を追求させていただきます。南無阿弥陀仏。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

リンク
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる