第65回「辻説法」に立って…

8月22日
 15日はお盆のお施餓鬼で辻説法をお休みしましたので、二週間ぶりとなります。残暑が厳しい中でも、5人の方が集まってくれて、8時から念仏、8時15分から35分までの辻説法を聞いてくれました。
 断食のこともあって、身体をつくることにからんで、信仰の「信」について話をしました。親鸞聖人は歎異抄の中の言葉として「信」があれば、念仏を称えても称えなくてもよい…という意味の言葉を残しておられます。
 しかし、その「信」を、私たちはどうやって確立していくことができるのかが問題となる…と指摘。
南無阿弥陀仏と称えることをとおして、身体がつくられていく、称えることのできる身体かできることがまず、必要なのではないか。称えるきっかけは、いろいろある。そこに「信」がなくても、散乱した心持であっても、ご縁をいただいて、南無阿弥陀仏と声にだしていくうちに、自然に信仰心が身についてくる…。そんな身体を作っていって、親鸞聖人の「信」に、到達することができるのかもしれない。
 私たちにとって、「信」が最初にあるのではなく、称えるという身体的行為が先に必要なのではないか。それが、誰しもが取り組める行なのだ…と。

 中野善英上人も
「ビールは、コップへ注いだときは、泡が盛り上がって立派であるが、泡が消えると、七分目しか入っておらぬ、
人間も泡が消えると正味、七分目しか入っておらぬ者が多い、身装や、財産や、肩書の泡で大量にみせかけている」

 南無阿弥陀仏を称えつつ、心に井戸を掘りましょう。信仰の水が自然にこの身体に湧き出してくるように。

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