すべての人の「同利益」を追求すること…。

11月11日
 今日は四つの法事をさせていただきました。四七日忌・百か日忌・七回忌・初七日忌です。それぞれ、時間の許す限り、お話をさせていただいています。内容は、お経の解釈であったり、その功徳であったり、体験談であったりといろいろですが、今日、お話をしてきたことを通して、少し深まったのではないかと思えてきたことがあります。

 それは、四弘誓願の最後の「自他法界同利益、倶生極楽成仏道」の部分です。
 
 ここの部分についてこれまで、このように解釈してきました。
 
「自分と他の人とは、仏の教えの満ち満ちている世界に置いては、本来、同じ利益を得る物でなくてはなりません。ともに極楽に生じて仏道を成じてまいりましょう。」
 
 後半の、「極楽に生じて…」というところをさらりと解釈してそのままにしてきていました。しかし、ここがとても大切なところだと思えてきたのです。

 「同利益」ということについては、誰かが損をして誰かが得をするとか、誰かが泣いて誰かが笑うとか、誰かが勝って誰かが負けるとかという関係ではなく、みんなの幸せが私の幸せ、みんなの喜びは私の喜び」ということだと考えています。仏様は、その教えを持って、私たちに「同利益」を追求することを求めているのだと思います。
私たちは、仏の慈悲心のようなこころを求めつつ、「たいしたことはできませんが、私にできることでお役にたたせていただきます」と「同利益」を追求します。
 それと「ともに極楽に生じて仏道を成ぜん」とが、どのようにつながっていくのか、これまであまり意識してこなかったところだったのですが…
 「仏道を成ぜん」とは、仏道を完成させたいということ。その完成・達成は極楽に往生してやっと到達できるものであるということ。ということは、この世に置いては、到達できないということ。

 この二つをあわせると、この世で「同利益」を追求して言っても達成できないことであるが、そうであっても、極楽に生じてかならず達成して行きますということ…。
 それは、この世で「同利益」を追求することを止めることでも、いいかげんにするこでもなく、逆にどんなことがあっても「同利益」を追求し続ける「大きな力」をいただくことになるのと思えてきたのです。
 例え、私たちのいのち有る限り「同利益」を追求し続けて、それが完全に達成されなくても、仏の世界では必ず達することになるのだから、たとえ歩みが遅々としたものであっても、どこまでも「同利益」を追求して生きる「ちから」を、いただくことができると思うのです。

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