スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「私は今が一番幸せです」とおばあさんが語ってくれました。

 11月14日

本堂とヤマザクラ

 一人のおばあさんと出会いました。85歳の一人暮らしの方です。お話をしていて、お互いに、どこかでお会いしたことがあるとおもっていたのですが、しばらくして、「そう、そう、お墓でお会いして、何度か挨拶をさせていただいたことがありましたね…」とわかったのです。
 「まあ、あがってください」といきなり訪ねていった私を家にあげてくれて、全ての部屋から二階から、押入れの中から、台所、納屋まで、全てを見せてくれて、いろいろと話を聞かせてくださいました。その美しいこと美しいこと、そしてすべてが整理整頓されていて、無駄がないのです。自分が毎日寝ておられるベットの布団は、全部あげて、布団かけに干してありました。「こうしておくと、冬でもぽかぽかで、暖房などいりません」と。

 「この家を建てたころからずっと、天袋まで拭いてきました。」
 「今は年いってしもうて、上の方やガラス窓までは拭いていませんが、毎日、柱も、床も磨いています。」
 「大工さんが、水をつけるなといったので、乾拭きをしています」

 「換気扇は、今でも一ヶ月に一回は磨いています」

 「今が一番の幸せです。」とピカピカに磨かれた台所でお茶を入れてくれました。

 今日のブログは、このおばあさんが私に語ってくれたことを、おばあさんの「一人語り」形式にしてご紹介したいと思います。

 「私は、伊勢の島で育ちました。女に学問はいらない、働け、という父親に育てられて、学問もなにもありません。島で結婚をして家を立てて7年目、子どもには教育をつけさせてやりたいと、島を出るために家を探しました。この場所に家を見つけて、直ぐに手付金を打ちました。

 それまでには、戦争もありました。名古屋と東京の間にあって、ようけ爆弾も落ちました。しかし、爆弾は皆海に落ちました。一遍だけ焼夷弾が島に落ちたこともありましたが、後は、海。海に爆弾が落ちると、ようけ鯛が浮きました。爆弾で魚がやられるんです。他所の人たちは、戦争中で物がなくて困っていた時代に、私らは、イセエビやアワビなど食べて、贅沢をさせてもらいました。お陰手、この年になっても元気です。

 島を出ることは、親戚にも反対されましたが、子どものために、こうして、ここに出てきました。この辺は、道より低い場所に家があって、よく水が入ってくるような所でした。

 売主さんは、ぎりぎりまで家を出てくれず、やっと空け渡してもらったときには、ゴミも置きっぱなしの状態で、おまけに、もっと高い金で買ってくれる人もあったけと゜、お宅に手付けを打たれていたから…とさんざんいやみまで言われました。

 私は、家を手放すときには、きれいにかたずけて、手放したいと思っています。大切に守ってきたこの家を、大事に引き継いでくれる人があらわれるまで、手放す気はありません。

 子どもを育てながら女工さんをして働き、最初に建てた家を壊して、現在の、この家を建てました。低い土地をしっかりと固めて、土台をしっかりとして、自分で設計をして、年をいっても生活しやすいようにと考えてつくりました。収納場所は沢山造りました。総檜づくりの土壁、漆喰の家です。

 大阪で修行をしてきたという良い大工さんにめぐりあって、その初仕事にこの家を建ててもらいました。10年寝かしてきた檜を使って建ててもらった家です。柱に鉋がしっかりと入っていて、面がはっきれととられています。築二十年以上たっていますが、寸分の狂いもない家です。この階段の板を張るだけで、大工さんは、丸一日かかっていました。その大工さん、この家を建ててから後、50軒の家を建てたと聞いています。お客さんにこの家を見てもらって、仕事を断られたことはないといっていました。

 私も85歳になったんで、なかなか掃除も行き届きませんが、毎日、手の届く所や床は水をつけずに磨いています。三方から日が入りますから、埃がちょっとでもあったら目立つんです。西からの日は入らないように壁になっています。冬でも暖房いりません。エアコンがどの部屋にも入れてありますが、厳寒のときくらいに入れるだけで済みます。隙間風一つ入りません。

 押入れ、物置がたくさんつくってあります。洗濯の水場は、外に作ってあります。ここらか通路でいけるようにしてあります。物干し場も下に作ってあったのですが、今は、二階のここから干すようにしています。

 一生の間に三回家を建てたわけです。子どもたちがみんな独立して、やっと夫婦二人の生活ができると、この家を建てたのに、夫は癌に倒れてしまいました。務めていた会社で行った血の検査で℃型肝炎になったのです。昔は注射器を使いまわしていたからです。それから体がほっくりせず、しまいには癌になってしまい、7年前に亡くなってしまいました。

 昨年、息子が墓を買ってくれて、名古屋に墓を移しました。私たちがこうして元気におれるのも、みんなご先祖のおかげ、そのことを息子にもしっかりとつたえておかんといかんと、まず墓のことをちゃんとさせました。息子は、早く自分の所に来るようにいってくれているのですが、この家をかんたんに人手に渡すことができず、こうしてここに住んでいます。欲も何にもありません。ただ、この家をほんとうに大事にしてくれる人に譲り渡したいと思っているからです。息子も「いい人に買ってもらえるといいな」とそれだけを願ってくれています。

 親は孤独なもんだと思います。しかし、今となってみると、自分に学問などいらないといった親を、昔はうらんだこともありましたが、今は感謝しています。そのお陰で、私は、自分の子どもたちを、こうして育て上げることができたと思っています。子どもたちも、みんな私のことを心配してくれます。いずれは、私も息子のところにいって一緒に住むことになるんだと思います。そのため、いつでもこの家を出て行けるように準備をしています。

 ほんとうにこの家を大切に守ってくれて、大事に使ってくれる人があらわれたら手放すつもりです」


 おばあさんにとって、自分の人生の積み重ねは、この家とともに在りました。家の柱の一本、一本が、おばあさんの人生を生き抜いてきた節目、節目です。その柱をいとおしみつつ、自分来し方を振り返り、「今が一番しあわせ」とこの家を守り、大切にしてくれる人が見つかったら、後をたくして、息子のところに世話になるという、生きて生きて、生き抜いてこられたおばあさんに、これからも何度かお話をきかせてもらいたいと願っています。

 私たちが学ぶべき人生、生き方は、こんなところにあるのではないでしょうか。支点が定まった、ゆるぐことのない構え、頭が下がります。出会いに感謝いたします。

 

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

リンク
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新記事
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。