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「あれぇー、お寺さんやー、こんな時間にィー…」の声

12月1日
 11月29日、名張で大正大学同窓会の事務局会議があり、伊勢・松阪から三人で参加した帰りのことです。私は、お坊さんの正装をして袈裟をつけていました。
 松阪駅で降りられたお二人の上人と別れ、伊勢市駅で電車を下車しました。9時半すぎのこと。
預けてあった車を無人駐車場に取りに行き、料金を精算に向かいました。

 送迎バスが駐車場に入ってきて、降りた人が、「ありがとうございました」と運転手にかけた声を聞きながら料金の精算を続けていました。

境内の黄葉

 すると後ろの方から、「あれぇー、お寺さんやー、こんな時間にぃー…」の声。

 その声は、背中を向けている私に、夜遅く、正装をしたお坊さんに会えてよかった…というような、喜んでくれているような声のトーンに聞こえました。

 私も振り返りつつ、暗くて、かすかに立っている人の姿しか見えないのですが、「ええ、こんばんわ。名張の方に出ていたので、こんな時間になりました。」と挨拶をしました。そして、300円のお釣りを取って、車の方に歩き出しました。

 声の主は、駐車場から裏に抜けて、路地の奥に入っていくところでした。するとそこで立ち止まり、振り返って「それでは、失礼します。おやすみなさい…」とまた声をかけてくれるではありませんか。全く、見ず知らずの人なのです。

 私も、「どうも、失礼します。おやすみなさい」と別れました。

 車を運転しながら、そして家にもどってからも、何とも言えない「ありがたさ」「感激」「喜び」に包まれました。すぐにこんなことがあったと語らずにはおれませんでした。

 いや、そればかりか、今日、両国寺さんで午後2時からさせていただいて「十夜法要でのお説教」の最初に語らせていただいたのも、この夜の[挨拶」のことでした。

 「この方は、どこのお寺の檀家さんかわかりません。いや、お寺じゃなくて、神さんかもしれません。どちらにしても信仰の中に生かされている人であることが伝わってきます。夜、お坊さんと会ったことが、喜びと感じられる、そんな人が伊勢にいる、これはほんとうに、坊さんである私にとって、こんなに嬉しい、ありがたい感激はありません。なかなか、出会えることではありません。
 この方は、菩提寺のご住職と、信仰の中でつながっているばかりか、阿弥陀様・仏様、いや神様かもしれません、いずれにしろ神仏と一つになっている…、神仏の心をいただいて生活している方です。だから、まったく見ず知らずのお坊さんであっても、同行人・お仲間と受けとめて、会えたことを喜んで下さる…。信仰が確立することで、このような挨拶を、自然に声に出すことができるのですね。
 信仰の中で、私たちが、みんな、この方のようになれたら、世の中は確実にかわります。どうしたら、こんな人になれるのでしょうね。まず、私たち一人一人が、信仰をもった、信仰にいかされた人へと、自分自身を変えて今ことが大切です。どうやって変えることができるか…。それは、南無阿弥陀仏と声にだして称えていくことから、すべてが始まります。何もわからなくても、ありがたくなくとも、ひたすら称えるお念仏。どうもち智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべしの念仏は、ありがたくなくとも称え続けるお念仏のように思います。そのことで、仏様の力・心をいただいて、私が変わるのです。そんな生れ変った私を目指しましょう。生れ変ることが往生です」と。
 
 

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