京都、嵯峨野を歩きました。

1月10日
 最初に訪れたのは五台山、清涼寺です。地元の人には釈迦堂と親しまれているお寺です。南側に、この大きな仁王門があります。

清涼寺
 この門を入ると、すぐ左側に法然上人像があります。法然上人24歳の時、保元元年(1156年)に、この釈迦堂に7日間こもって、道を求めました。

清涼寺
 この釈迦堂の本尊様は、インド、中国を経て日本に伝わった、三国伝来の生身の釈迦如来様です。
 当時の争乱の世にあって、この釈迦如来が、「天竺へ帰り給いなんずるとて…」、京の人々がたくさんお参りにきていました。釈迦に救いを求める人々の苦悩の現状に、法然上人も直面することになります。
清涼寺
 法然上人の釈迦如来像の前での7日間の求道について、田村圓澄氏はこのように書いています。
「…求道の決意を固めたのは、『隠遁聖』の限界を反省するとともに、自己の救いの道を、庶民の中に見出そうとしたとも解されよう」と。

清涼寺
 救いを求めて釈迦堂に集まってきている人々の現実に目を向け、この人々の苦悩を救うことのできる仏法こそ、自分の求める仏法でなければならないと、法然上人は確信したのではなかろうか。しかし、その仏法はどこに…。法然上人の追究が始まることになります。

清涼寺
 7日間の祈願を終えると法然上人は、南都、奈良の法相宗、三論集、華厳宗などを訪ねて回ります。


清涼寺
  南都の遊学から黒谷にもどった法然上人は、あらためて日本に伝来したお経のすべてを読破していきます。

清涼寺
 そうして。20年の歳月が流れるのです。この求道のエネルギーの根源には、釈迦堂で出合った人々の現実の苦悩を平等に救い取りたいという、法然上人の願いが根底にあると思います。

愛宕念仏寺
 清涼寺から更に足をのばしで、愛宕念仏寺を尋ねました。1200体の五百羅漢さんが境内に並べられています。

愛宕念仏寺
 寺の復興のために、昭和56年から10年間かけて、参拝者の手によって彫られたものだと言います。
平成3年に落慶法要がなされたとか。その羅漢さん、苔に覆われ、みないい表情をしておられます。

野宮神社へ
 さらに戻って、野々宮神社へと向かいました。

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