第38回「辻説法」に立って

1月25日
 水曜日と25日が重なりました。朝8時からの辻説法、11時からの戦没者慰霊と平和の鐘・鳴鐘。2時半からの葬儀役僧、7時半から読経会を行いました。この間に午前中1時間半、仏事についての相談、12時過ぎから1時半まで生活相談、4時半から6時半まで目医者と本屋に行ってきました。
 さて、今日の「辻説法」は、昨日の葬儀の引導での餞別の一句「貫きし道光りたる寒夜かな」からはじめました。82年間の大工として頑固に真っ正直に貫き通した人生の来し方は、寒夜のような艱難辛苦を乗り越えてきた光り輝く歩みであったこと、なくなる4,5日まえからは、何をしてもらっても「ありがとう。ありがとう。」を繰り返していたという。 
 そして極楽への往生されて、残された家族に後から続いていく道をしっかりとしめしていってくださいました。これから先に寒夜のような厳しく冷たい世間にあっても、この貫かれしめされた一本の光る道を歩んで来いと行く手を示してくださっています。
 山を登っているときは、足元しか見えません、しかし山を上り詰めれば、また向こうに山があります。その山に向かってまた歩き出すのが私たちなのではないでしょうか。

 中野善英上人の今日の言葉は、「道は一なり」です。

「欲を捨てるのです…。自分が犠牲になるのです…。
自分が「欲」を捨てず、自分の都合のいい方へ闘い引っ張り込もうとするものだから、自分も迷い、自分も苦しむ。そしてタンクのように堂々と進めぬ。
 強うなる。心安くなる…。
家庭の紛糾の元も、自分です。自分が先ず、我儘勝手なその根性を捨てたら自分も楽になる。皆もほっとする。皆のものも善心になり、皆の人も譲歩して一遍に家中が明るくなる。極楽になる。
 まあ、自分が辛抱するのですね…。
 自分が損をするのですね…。
 それも永い間でなくてもよろしい。ほんのしばらくの間でいいから。
自分が無欲になる…。
自分が無力になる…。
自分が無要求になる…。
絶対服従になるのですね。
 そうすると、ガラリと天地がデングリ返って、舞台が、明るくなり、解決する。そして忍んだだけは必ず酬いられる。損しただけは、必ず恵まれる。いや、与えられた以上に与えられ、捨てた以上に、得ることになる…。
 勿体ない。
 道は一つなり
 自己を捨てて、死中に活を得よ。」

 このような境地は、南無阿弥陀仏を称える中から自然に備わってくるようです。

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