第39回「辻説法」に立って

2月1日
 寒い一日でした。朝の辻説法、リンを打つ手が悴んでしまいます。それでも南無阿弥陀仏と称えていると、その声が、すっと寒空に吸い込まれていき、反対に差し込んでくる日差しに照らされて、その光を感じながら、お念仏が大自然の中に溶け込んでいくような感覚を覚えました。
 今日は、「速証無生身」について最初に話しました。お念仏をお称えすることを通して、速やかに無生身を証せんということ…。私たちは、悩み多き生身の体だけれども、お念仏を称えることで自分が『無』となれる…ということ。このことについて中野善英上人は、「砂糖水」で、このように語っておられます。

 砂糖は、先ず自分が水に溶けて水を「砂糖」にしている。
 自分が「何に…水なんかに溶けてやるもんか」と頑張っていたら、水を砂糖水にすることは出来ぬ。
 自分が「水」に溶けてやればこそ、水を「砂糖水」にすることが出来たのです。
 先ず自分の方から、先へ「一寸」でも与えなければ、相手を「一寸」こちらへ寄せることは出来ぬ。
 「与えた」と思うと損したように思うが、実は与えただけ、相手をこちらへ同化しているのです。
 強い者の方から譲らねば、弱い者の方に先ず譲れというたとて無理だ。
 先へ譲った方の者が、必ず勝つ。


 夕方、本屋に行きました。先に入り口横にあるトイレに入ろうとすると、「掃除中」の看板が出ていました。
 「すみません、じゃましますが、入らせてもらっていいですか」
 「どうぞ」
 「ありがとう。では、しつれいしますよ」
 掃除をしていたのは、若い従業員でした。
 「ごくろうさん。トイレのきれいな本屋さんは、はやって、もうかりますか…」
 そんなふうに語りかけると、若い店員さんがこう応えてくれました。
 「はい、自分が使うときもきれいな方がいいですから」と。
 やらされている掃除でなく、仕事で仕方なくしている掃除でなく、「きれいな方か自分もいいから」と応えることのできる店員がいるお店だから、はやるしもうかるのだと思いました。
 ちなみに、この大きな本屋さん、本棚の通路には、椅子やソファーがたくさんおいてあります。そこにすわって、まるで図書館のように、お客さんが、立ち読みならぬ座り読みをしているのです。
これもこの本屋さんの特徴なのです。
 立ち読みをすすめていくことで、逆に売り上げを伸ばす…。なるほど…。

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