角田俊徹上人のことが明らかに…

2月19日
 2009年7月1日に「ご縁1」「ご縁2」「ご縁3」のブログを書きました。私が使おうと思って祖父の遺具の中から探し出した、お説教に使う「如意」に一誉俊徹と刻まれていてびっくりしたという話。なぜびっくりしたかというと、私の僧名は一誉、父親の名前が俊皐、祖父の名前が徹雄ですから、その因縁におどろいたというわけです。この如意は祖父が師僧から頂戴したものであり、師僧の名が、一誉俊徹上人だったのだろうとの仮説を立てたのです。
 そして今年の1月7日のブログで紹介させてもらいましたが、突然メールがとどき、一誉俊徹上人についていろいろと教えてくださったのです。さらに今回、このようなメールをいただきました。

 
 ブログを一昨日拝見し、その旨を・・院の先代住職の奥様・・・にお伝えを致しました。
俊徹和尚が住職を務めておられた西極楽寺(神戸市須磨区)は大変大きな寺院で、小僧さんも常時数名いらっしゃられたとの事でした。
ところが戦時中、焼夷弾が西極楽寺に落とされてしまって、三日間燃え続けたそうです。
それで晩年に隠居する予定だった・・院に急遽避難をして遷化されるまで(昭和23年頃)、・・院にいらっしゃったようです(・・・奥様のご母堂様が俊徹和尚の散髪を為されたりされていたとの事でした)。この時・・奥様は8歳の頃の事でした。
・・・奥様の御尊父様を含め、俊徹和尚のお弟子さんの殆どは徴兵されて戦死なされたようで、ただ一人徹円(てつえん)和尚のみが生き残っておられたとの事でした。
そして再建された西極楽寺には、恐らく俊徹和尚の事を直接知っておられる方はいないと思うとの事でした。
ですので現在となっては、俊徹和尚を直接知っておられる御方は・・院の・・・奥様しかいらっしゃらないようです。
取り急ぎご報告を申し上げ失礼致します。


 私は、当然のことながら俊徹上人のことを知る由はありません。しかし、祖父の師僧であった俊徹上人が、一誉上人であったことに、深いご縁を感じるのです。そして大きな力を祖父・父の後ろからいただいているような…。四月になったら・・院様をお訪ねし、俊徹上人のお墓にもお参りさせていただくことにしたいと思います。
今日は、このメールをいただいた○○様、そして・・院様に慶蔵院の紹介資料も含め、ご縁をいただいたことへのお礼の手紙を書かせてもらいました。

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