どうして23回忌の連絡文書が、今年にとどいたのでしょうか。

3月3日
 次のお参りに出かけるまで2時間余裕があるので、興奮さめやらぬうちに書き留めておこうとここに座りました。いま1時からの年季法要とお墓参りから帰ったところです。
 いつもお地蔵さんにきてくれ、写経にもきてくれていたおばあさんが、酸素が必要になり、なかなか家をでれなくなって二年が経過してきました。そして昨年12月の末に転んで、うごけなくなり別途に寝たままで、介護を受けているということを聞いて心配をしていました。
 2月の中旬でしたでしょうか、23回忌をつとめたいのでとの連絡を受け、今日の1時を設定しました。
今朝から、お持ちするお塔婆を書こうと23回忌にあたる平成2年度の霊位名簿の写し一覧を調べても、当該の戒名がみあたらないのです。調べていくと昭和63年の3月18日の霊位でした。ということは、25回忌ということになります。25回忌というのは、23回忌と27回忌を両方されない場合に、25回忌をするというふうに考えてきていましたので、私は、25回忌の連絡は、どこのお檀家さんにこちらからは連絡してきていませんでした。
 お参りに行って、23回忌ではなくて25回忌でしたと塔婆をお渡ししたのですが、施主は「あれ、おっさんから23回忌の連絡をいただいたので、年忌をさせてもらうことにしたのです。確かに23回忌と書いてありました。」といわれます。そうですか、どうしてでしょうね。お亡くなりになった年は、昭和63年ですから、まちがいなく25回忌ですし、25回忌のことを23回忌として連絡することはありません。もし私が書いて連絡したのであれば、お宅にのみ連絡したということに也、こんな不思議なことはありません。また、2年前に配った文書が、たまたまでてきて、それで今日の23回忌ということになったのであれば、いずれにしてもすごいことです。どちらかに仏様の計らいがはたらいたのだとしかいいようがありませんね…。と言ってお経を集まってくれた家族・親戚と一緒にお唱えしました。
 ベットに横たわったまま、おばちゃんは、お経を唱えてくれていました。

 法事が終わりお墓に行く前に、施主さんに尋ねました。「23回忌の連絡文書はいま手元にありますか。見たらそれが何年にかかれたものであるかはすぐわかりますから見せてもらえませんか…」とお願いしました。
 ベットのそばに行っておばあちゃんと話しながら、徐々に回復してきている足のことを尋ねていました。足はすこしうごかすことができるようになってきたとのこと、みんなにせわになっていて申し訳ないとの思いを語られながらも、こうして親族があつまって年忌法要ができたこと、一緒にお念仏ができたことを大変喜んでおられました。眼の輝きがハッキリしていましたから、まだまだ元気におってもらえると確信しました。
 そこに23回忌の連絡の文書をもってきてくれました。それはやはり2年前に私が書いたものでした。2年前は青インクの万年筆で書いたのです。そして今年は筆で書きました。
 「2年前に書いた連絡の文書が出てきて、今年年忌をしてもらうことになったとは、またまたすごいですよね。仏様によんでいただけたのですよね。」と言うと、
「そういえば、23回忌は2年前にやったような気がしてきました。しかし、この文書は、おっさんが今年配ってくれた文書の中にあったんです。それで、アッ、23回忌をせんならんと思ったんですよ」という。
「そういわれれば、私もここで2年前におがませてもらったように思います。確かに23回忌しましたよね。しかしですよ、そのときの連絡の紙一枚が2年後にどうして、また、お寺からとどいたんでしょうか。考えられることは、2年前に23回忌をお願いしますとお寺にこの連絡文書の紙をもって頼みに来てくれた。受け取った私が、それで塔婆を作成し、その文書をそのまま、年忌の霊名簿の一覧のどこかに挟んで置いた、それが今年の連絡文書とまざって、こちらに再び届いたということになりますが、それは考えられないことです、針の穴を通すよりも難しいことですが、それがなぜか届いたということですね。しかもこれ上半分が切り取られています。上には、何年が何回忌かという一覧がでていまし、そこには平成22年とも記載されています。それが切り取ってありますから、今年が23回忌と思い込んでしまった…、まさか2年前のものがまた配られてくるとは考え付きもしなかったということですよね。
 いや、不思議、不思議、やっぱり仏様がここによんでくれたのですよ。この連絡の文書は、仏壇に永久保存しましょう。「おばちゃん、聞いとったかな。すごいことやよ。こんなことがおこるなんて、考えられない。おかげて25回忌をこうやって、みんなで勤めさせてもらえました。よかった、よかった。」
 今本堂に安置されている涅槃像が一昨年の6月8日に届いた日、おばちゃんは、酸素ボンベが必要になって半年ほど家をでたことがなかったのに、「今日は、無縁さんに参りたいという気がして、はじめて外に出て、寺まで、ボンベを引いてお参りに来たら、涅槃像がとどいていた」と涙を流して、その出会いを喜んだことがありました。
 この涅槃像、無縁仏を整備するため穴を掘ったところ、これまで行方不明であったお地蔵さんの胴体が出てきた。足と胴体とを接続して仮置きをしてあったところに、2009年の10月8日、18号台風がやってきて、本堂の西にあったカクレミノの樹が根こそぎ倒れた。その下にまるで引っ張ったように胴体を接続した仮置きのお地蔵さんが立っていた。そのカクレミノから作られたのが涅槃像。
 涅槃像がとどいた2010年6月8日、おばちゃんも寺に来てくれましたが、夕方6時50分、慶蔵院が金色から銀色、そして最後に公孫樹の樹が真っ赤に照らされて輝いたのを妻も、中国に返っていった芳竹ちゃんも恵ちゃんも見たのです。それは、カクレミノの残りの部分でつくられたお数珠のいわれに記載してあることです。このことは、当時のプログに詳しく報告しましたのです、よかったらご覧下さい。ちょうど1時間で書くことができました。おわります。
 


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