「歌集バシー海峡」鑑賞ノートの著者、長岡進氏から電話が…。

3月14日
 ずっと寺にこもって、お彼岸に向けてのお塔婆を書き続けていたのですが、4時過ぎにタイムリミットになってきた確定申告に出かけることにしました。書類をもって、税務署へ…。その間に長岡進氏から電話をいただきました。残念ながらお話ができませんでしたが、「ブログに書いていただいてありがとうございました」と伝言くださいました。
 妻が私のブログを読んでも、よくわからないといいます。かいつまんで、長岡氏が書かれた内容をまとめながら、自分の理解を深めようと書いているブログですから、そうかもしれません。
 でも、今日の『辻説法』で話したところ、聞いてくれていた中尾さんが、「そうなんです、全部やられたんです。ともかく輸送船で兵隊を運んだんです。人間なんかほとんど乗れない貨物の船を、何層にもくぎって、そこに人間を詰め込んで運んだんです。トイレがありません。だから、みんな、甲板に並んで用をたしたんです。そして、フィリピンにつくまでに全部やられたんです。フィリピンで戦死といわれている、だれだれさんとこも、だれだれさんとこも、ここでやられたんです…。おっさん、また話しますわ…。」と思わぬ立ち話となりました。
 長岡氏は、「おわりに」のところで書いておられます。「実は、私の父も中嶋秀次さんの『ヒ七一船団』に参加していました。…マニラ湾に入る直前、二二日未明に…被雷沈没、戦死しました。…私が中嶋秀次さんの玉津丸のことを知ったのは二○○五年の夏のこと…、調べると直ぐに同じ船団であったことがわかり、背筋に寒いものを覚え、しばし言葉のなかったことを今も忘れません…」と書いて見えます。
 ソシテ、長岡氏は、二○一○年八月に『鑑賞ノート』を出版されたのです。
 私は、編集・発酵が美麗宝島友の会「なうプロジェクト」とあり、電話番号が記載されていましたので、昨日そこに電話をし、電話にでてくださった奥村さんとお話ができました。そして長岡氏とのご縁を、いただくことができたのです。
 もっともっと、中尾さんの話も聞かせてもらって、檀家さんの中でのバシー海峡関係者とも話させてもらいつつ、『何ができるか…』考えていきたいと思います。
 

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

リンク
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる